神様もしいるのなら





 目が覚めると独りだった。

 もしかしたら、夢なのかと思った。

 今までが夢なのかと思った。







 平和な町のちょっとした風景。
 子供たちが楽しそうにアンパンマンを囲っておしゃべりをしていた。
「アンパンマン、いつもありがとう」
「でも、バイキンマンなんかいなければいいのに〜」
「どうしてバイキンマンを殺さないの?アンパンマン」
「それはね、罪を憎んで人を憎まずだからさ」
「なるほど。すごいやアンパンマン!」
「でもアンパンマンはバイキンマン嫌い?」
「そうだね。みんなの平和を壊す奴は許せないね」






「バイキンマン、どうしたのー?」
 バイキンマンはベッドの上につっぷしていた。
「バイキンマン?」
 ドキンちゃんがおたまを片手にバイキンマンの部屋のドアをそっと開けた。
ところで、何故ドキンちゃんがおたまなんかを持っているのかというと、
愛しの食パンマン様に愛情たっぷりの料理を作ってさしあげるための練習をここのところ毎日しているからで、
バイキンマンのご飯を作るとかそんなではない。
「ちょっと、何してるのよ」
 ドキンちゃんは次第にいらいらして、声を荒げた。
すると、薄暗くて心なしか陰気な感じがする部屋から、かすれたような声でバイキンマンが答えた。
「…息してる」
「あんた小学生っ!?」
 ドキンちゃんは馬鹿馬鹿しくなってバイキンマンを起こそうとし、ベッドに近づく。
しかし、手の届く距離になって初めてバイキンマンの様子がおかしいことに気がついた。
「…あら、バイキンマン」
 仕方なさそうにむっくりと起きるバイキンマンの目の周りは真っ赤になっている。
「…泣いてたの?」
 遠慮なくずけずけ訊ねてくるドキンちゃんに、バイキンマンは無理やり引きつった笑みを向け、
「そんなことないよ全然、だって俺様今笑ってたよ、うん、笑ってた」
 ドキンちゃんでさえ明らかに不審に思うような棒読みのセリフだ。
「またアンパンマンに泣かされたの?」
「なっ…!違うよ!何でアンパンマンが関係あるのだ!」
 ドキンちゃんはまたか、というように二、三度首を振ってバイキンマンのベッドに腰掛けた。
「でも、今日は怪我してないじゃない」
 バイキンマンの手や顔、すくなくとも服に隠れていないところに目を走らせ、ドキンちゃんはなんだ、という感じでバイキンマンの背中を叩いた。
「だから!俺様何も…」
 バイキンマンが必死に口を尖らせて反論しようとしたのをドキンちゃんはおたまで遮り、
「じゃ、洗濯物とお風呂場と洗面所のお掃除お願いね」
 にこにことバイキンマンの弱点の一つである、可愛い笑顔で去っていった。
 そんな顔されたら、断れるはずがないではないか。
バイキンマンは、ドキンちゃんをずるいと思い、そして少し羨ましく思った。



 大きな大きな洗濯籠を庭に持って出て、バイキンマンは洗いたてのまだ石鹸の匂いがする服を物干し竿に干し始めた。
「いい天気だなー…」
 そう言ってみたものの、心はどんより曇り空だ。
いつもなら「これならすぐに洗濯物が乾くぞ」とか思っててきぱき家事をこなせるのに。
「…」
 理由は、きっと、アレだ。分かっている。

『アンパンマンはバイキンマン嫌い?』
『そうだね。みんなの平和を壊す奴は許せないね』

 つまり、つまりは、だ。
 直訳すると…。


…ぐすっ。
 バイキンマンは鼻をすすった。


 なんて運悪く、町になんて行ってしまったんだろう。
 買い物なんて、いつだって出来たのに…。


 くそっ。ばかばかばか!!
 
 
 あっさりと、心無い発言をした奴への怒りと、期待してはいけない者に期待してしまっていた自分に対しての怒りが交錯する。
 よく考えると、アイツがバイキンマンを嫌うのはもっともなことなのだが、それでもバイキンマンは裏切られたような気がしてならなかった。
 頭では分かっていても…。やっぱり、悲しい。
 
「…悲しい?」
 そんな、アイツのせいで「悲しい」なんて感じる必要ないのに。
 前は悲しいとか辛いとか、そんな気持ちなかったのに。
 全部、全部、アイツのせいだ。
 あのパンのせいだ。
 くそ。馬鹿。変態。ショタコン。(←気づいてるらしい



 パタタタ…。
「ん?」
 なんだか、軽やかな羽音がすると思ったら、白い鳩の群れが頭上を飛んでいた。
 青空と鳩の白い色がコントラストで美しい。
けれど、今のバイキンマンにはそれさえ鬱陶しく見えてしまう。
「くそっ」
 鳩なんか大嫌いだ。庭に羽を落としてきたら、即射殺してやる。
 バイキンマンの殺意に気づいたのか、鳩たちは一斉に空高くまで舞い上がった。
「う…わ」
 あっという間に、米粒よりも小さくなる白い鳥。
 バイキンマンは、不覚にもその光景に目を奪われていた。
 


 大空を自由に飛び回る鳥たち。真っ白な羽。


 

…でもどうして?

俺様には羽があるのに、あんなに高く飛べないんだ?

羽がないアイツはどうして空を飛べて、どうして俺様のは飛べないんだ?


 どうして?


「…どうして?」


 神様、神様、どうか、もしもいるのなら。


 俺様のハエみたいな羽を消してください。
 真っ黒な髪も、真っ黒な瞳も、アイツのように綺麗な優しい茶色にしてください。

 不健康な青白い肌も、折れそうな身体も、みんなアイツと同じくらいに。
 


 お願い、神様。



 俺様がもう少し人に好かれるような姿で、好かれるような性格で。
 町の人たちと仲良くしてて、すごくすごく人気者だったら。

 アンパンマンは俺様のことどう思っただろう。



 でも、そんなこと、地球が滅亡したってないんだから。
 だから…。



 『アンパンマンは俺様が嫌い。』
 その事実を理解しよう。とても簡単で、分かりやすいじゃないか。
「へへへのへなのだ」
 バイキンマンは拳でごしごしと目をこすった。
「俺様をこんな目にあわせたんだから…覚悟しろよ、アンパンマンっ」
 バイキンマンは洗濯物をほっぽり出して、ラボへ向かった。




 薄暗いラボに、カチャカチャという実験器具がぶつかる音が響く。
 普段から、あまり日が差し込まないラボはカーテンを全部引いてさらに暗くしてある。
 手元を照らすのは、頼りなく黄色く光るライトだけ。
「出来た…っ」
 バイキンマンは試験管の中を覗き込み、ふぅっとため息をついた。
「案外簡単なのだ…。ま、俺様に出来ないことはないのだっ」
 空元気を出して、バイキンマンは一人騒いでいた。
 暫くして、バイキンマンが洗濯物を終わらせていないことに気づいたドキンちゃんがラボの中に突進してきて、バイキンマンは殴られた。




 誰かさんのおかげで今日も平和な町。
 その町を小走りで駆けていく、帽子を深くかぶった少年。
 夕方なので行きかう人々はそれぞれに道を急いでいる。
 その流れを縫うようにバイキンマンは少々乱暴とも思える走り方である場所に向かっていた。
その時
「ひゃっ」
 バイキンマンは誰かとぶつかって尻餅をついた。
が、バイキンマンは先を急ぐのでそのまま何も言わずに立ち去ろうとすると
「お嬢ちゃん…、落し物だよ」
 おそらくぶつかった相手だろう。
白髪の紳士がにこにこ笑ってバイキンマンに落とした袋を手渡した。
「あ、ありがとうなのだ」
 少なからず恥というものを感じて、バイキンマンは少し赤くなりながらそれを受け取り、今度は落とさないようにぎゅっと握り締めて走り去った。
「おや…」
 残された紳士は、自分の手の中にある袋を見て、首をかしげた。
「渡したのは…」





コンコン…。
「ん?」
 控えめなノックが聞こえたような気がして、アンパンマンは玄関の方を見た。
 すると
ドンドンドンドンドンッ!ばき。
「うわぁっ」
 ドアが開いて、黒い小さなものが飛び込んできた。
「…。あぁ、バイキンマンか」
「うるさいのだ!お前俺様のこと小さいとか黒いとか思っただろ!!」
 のっけからきゃんきゃん喚くバイキンマン。
 何故そんなことが分かるのだろう。
 やっぱり、自分とバイキンマンは両思いなのだとアンパンマンは思った。
 可愛い、と心の中でこっそり笑う。
「で、なにしにきたの?」
 アンパンマンはこんな風にそっけないふりをして、「迷惑なんだけど」というフリをする。
 そうするとバイキンマンが泣きそうになるのを知っていて、わざとそう言ってみせた。
「なにって…あの…」
 案の定、バイキンマンは泣きそうな顔になって玄関に突っ立っている。
 もじもじとしているし、目はきょろきょろとして明らかに挙動不審。これは何かあるな、とアンパンマンはピンときた。
 おそらく、アンパンマンを倒すための秘策か何かを持ってきたのだろう。
 しかし、さっさと攻撃してこないところを見ると、いつもの機械ではないようだ。
「早く言わないと食べちゃうよ?」
 だんっ!と壁に両手をついて、バイキンマンを逃げられないようにする。
 バイキンマンがびくっと体を震わせて、アンパンマンを見上げた。
 もとからかなり身長差があったのだが、今はバイキンマンが頼りなげに縮こまっているのでますますその差は歴然としている。
「ほら」
「ふぇっ…」
 バイキンマンが何もしてこないのをいいことに、アンパンマンはバイキンマンの耳朶を甘噛みした。
 そしてそのまま唇を這わせて首筋に音を立てて吸い付く。
「い…、や…っ」
 バイキンマンがふるふると体を振ってアンパンマンのねっとりとした攻めから逃げようとする。
 けれどアンパンマンは気分が乗ってきたので、バイキンマンの服に手をかけ、胸を探ろうとした。
「ひ…っ」
「ん?」
 その時アンパンマンは、バイキンマンの微かな異変に気づいた。
 悪戯をする手を止め、じっとバイキンマンの顔を見る。
「…どうして泣いてるの?」
「―――っ!」
 バイキンマンは慌ててごしごしと自分の目をこする。
 それを見てアンパンマンはくすくす笑った。
「お楽しみはこれからだよ?バイキンマン」
 からかうように、意地悪な言葉を投げかけてみる。
 けれど、アンパンマンは今日は何もしないでおこうと心に誓った。
だって、バイキンマンがアンパンマンの家に来たのには訳があるだろうから。
それも、泣いてしまうほどの「何か」があったみたいだから。

 けれどもバイキンマンは、意を決したようにアンパンマンの首に腕を回して、呟いた。
「え?バイキンマン?」
「…して」




 それは「しよう?」でも「したくない?」でもなくて。
 むしろ、そんな甘い恋人同士の会話ではなくて。
 まるで懇願のような。






「俺様のこと、その、…めちゃくちゃにしていいから」
「バイキンマン…?」
 アンパンマンはびっくりしてバイキンマンの顔をまじまじと見る。
 まだ涙の後が残っているあどけない顔には、からかいやおふげさのようなものは一切見られなかった。
 そのかわり、瞳に映っているのは強い意志。
「ね、いいだろ…。俺様のこと気にしなくていいから。じゃないと俺様…」
(色仕掛け…かい?)
 もちろん、有効すぎる手だ。
 子供っぽいといえども、こんなにうるうるした瞳であんな風にお願いされたら、誰でも…。
(って。ダメだ!これは何かの罠…)
 アンパンマンは欲望を理性で封じ込めた。けれどバイキンマンはなお…。
「…お願ぃ…」
「うん、いいよ。君からそんなこと言ってくれるなんて、夢みたいだ」
 下半身の獣には勝てませんでした――。

 まぁどうせバイキンマンだしアンパンマンが負けるわけがない。はずだ。
 むしろこんなにおいしそうに誘ってくれているのに、断るなんて漢がすたるだろ!!
 というわけでアンパンマンはバイキンマンを寝室へといざなった。





「…」
 バイキンマンは恐ろしいほど大人しく、アンパンマンについていった。
 アンパンマンが背中を向けているので、奇襲攻撃の一つでもしたくなるところだが、今日はそんな気分ではない。
 内心、「そんなこと知らないよ」と跳ね返されたらどうしよう、と思っていたのだ。
 たけど、アンパンマンが思いのほか乗り気になったので少しほっとした。
 ほっとしたような感じがしたのは、まだアンパンマンに少しは存在意義が認められていると分かったからだ。
 まだ、性欲の捌け口としては。
 って違う違う!バイキンマンの罠にアンパンマンがひっかかったからだ。
(馬鹿なアンパンマン…っ。今に見てろ)


 ぼふん。とふかふかのベッドに横たえられる。
「大好きだよバイキンマン。優しくするからね」
「ふん…」
 バイキンマンはそっぽを向いた。ついでに腕で顔を隠す。
 「大好き」なんて言葉聞きたくない。昼間は「嫌い」と言っていたのに。

 どうして? どっち?

 だけど、バイキンマンにそれを訊ねる勇気はない。





 下肢に感じる、圧迫感。
 それは苦しくて、辛くて。
 でもその後の行為が辛くないように、アンパンマンは優しくバイキンマンの大切な所を解していく。
「い、いぁんっ!やぁ!」
 おまけに、バイキンマンの「イイ所」を突きながら、バイキンマンにも快楽を感じさせるように。
「いやぁ――…っ。やだぁ―…っ!」
 優しく扱われることが辛く感じる日がくるなんて、考えてもいなかった。
 それとも、適当に扱われるのに慣れてしまって、体が受け付けなくなっているのだろうか。
 シーツを握った手がガクガク震える。
「あぁ、こんなに濡れて。気持ちいいんだね?バイキンマン…」
 バイキンマンの両足を広げて、秘部を覗き込んでくるアンパンマン。
 あまりの羞恥に死んでしまいたくなる。
「ほら、こんなにトロトロ…」
 ぐちゅ、と指をさらに深く差し込まれ、バイキンマンは嬌声を上げた。
 バイキンマンのソコはバイキンマン自身疑ってしまいたくなるほど、ぐずぐずに溶けてアンパンマンを誘っている。
 ローションと、バイキンマンの愛液で潤った蕾は、いともたやすくバイキンマンを裏切って、アンパンマンに媚を売る。
 バイキンマンは己の尻軽さにまた泣きたくなった。

「も…、あ、やめ…!ぁんっ、やぁっ!ひ、ストッ…いぃっ。待っ…!」
 急所ばかり突いてくる指に制止の声をかけようとも、その指に翻弄されてまともに言葉がしゃべれない。
「なぁに?」
 アンパンマンは両手で双丘を割り開いて、そこに唇を近づけた。
「いやぁぁぁ――っ!!なかっ…!なか、に…あああぁぁぁぁーっ」
 突然侵入してきたうねうねと動くもの。それがバイキンマンの粘膜を犯し、バイキンマンの花芯からはドクッと愛液が溢れ出る。
「ひんっ…や、だ、ダメ――っ!!」
 お願いだからもう…!バイキンマンはこのまま達してしまうのではないかと思った。
「おねが…!あぅっ、アンパンマンっ!!!」
 腕を伸ばして、アンパンマンにすがりつこうとする。アンパンマンは手を止めて、バイキンマンの顔を覗き込んだ。
「も、それはいいのだ…っ!!」
「え?だってまだ」
「や…やだっ」
 もう恥ずかしい格好を見られるのは嫌だ!と、バイキンマンはアンパンマンに懇願する。
「…じゃあ、いくよ」
 アンパンマンはバイキンマンの上に覆いかぶさって、体勢を整えた。
「ん!あぁ!あっ!」
「きつ…っ」
 あれだけ解しても、バイキンマンの穴は狭くてきつくて、経験が少ないことをアンパンマンに思い知らせる。
 割り開いて、全てを受け入れさせたはいいが、バイキンマンにとっては今すぐ動くのは辛いだろう。
 アンパンマンは、バイキンマンの表情を見て、少し待とうと思った。けれど
「も、ヤッて…」
 つぅっと涙を零しながら、そんなことを言う可愛い恋人。
 アンパンマンの下半身は、さらに増長した。
「…動くよ」
「いっ!アァっ!やぁん!」
 バイキンマンの甘くて、切ない嬌声が部屋に響き始めた。







 体の中から、破壊される。そんな感覚。

「ははっ。こんなに感じて、やっぱり君は淫乱だね」

 お願いだからそんなこと言わないで…。
 分かってるから。ちゃんと分かっているから…。

「気持ちイイ?」

 俺様が気持ちいいかなんて、お前には関係ないはずなのに。

「…愛してる」

 …どうして?嘘つき!!!!!


「ひぃぁっ!あ、や、あぁぁぁっ、んっ…」



 酷く辛いはずの行為がとても心地よくて優しくて。
 だからかえってバイキンマンの心を痛めつけた。

 もっともっと酷くしても良かったのに。
 そしたら俺様はちゃんと…嫌いになって


 忘れることが出来るのに。


「やっ、あつい――…!!!」






「大丈夫だった…?」
 ベッドの上にぺたりと座り込んで俯くバイキンマンの肩に、アンパンマンはそっと手を置く。
 情事が終わってから、バイキンマンは一言も話さない。
 いや、話せないのかもしれない。今までのことを思い返すと、失神しなかったのが奇跡だ。
「バイキンマン?」
 少し力を込めて抱き寄せると、バイキンマンは情事が終わってから初めてアンパンマンと目を合わせた。
 濡れた長い睫、紅く染まった目尻、そして艶やかな白い肌に散るアンパンマンの愛の証。
 頬に残る涙の跡。
(どうしてこんなに…)
 アンパンマンは、バイキンマンの頬を撫ぜながらため息をつく。
 こんなに綺麗で純粋で、やることなすこと全てが可愛く見えるんだろう。
 最早犯罪だ、とアンパンマンが冗談で思った瞬間、
(…敵、なんだね)
 その事実をしっかり思い出してしまった。
 でも、敵だからナニ?
 今のアンパンマンはそう思っている。
「…飲み物取ってくるね、バイキンマン」
 相変わらず反応を示さないバイキンマンに優しく言葉をかけて、アンパンマンは台所へと向かった。





「はい」
 手渡した缶ジュースを、バイキンマンはこくりと口に含む。
 それを見届けてから、アンパンマンもごくりとジュースを飲んだ。
 すると突然バイキンマンがアンパンマンをベッドに押し倒して、口付けた。
「んんっ!」
 アンパンマンの舌に感じる、ジュースよりはるかに甘い味。
 と、明らかな異物。
「んんーっ!!」
 ゴクッ。
 アンパンマンが薬を飲み下したのを確認してから、バイキンマンは唇を離した。
「バイキンマン…これ!」
 アンパンマンが突然のことに驚愕していると
「…これ、すごく危険な薬なのだ」
 バイキンマンが眉をひそめてそう言った。
「は!?」
「ばいばい、アンパンマン」
 ぎゃふん。アンパンマンは心の中でそう叫んだ。







アンパンマン、前に俺様に言ったのだ。俺様はアンパンマンを倒すために存在して、アンパンマンは俺様を倒すために存在するって…。

でも、やっぱり俺様馬鹿だから、すぐには分からなかったんだ。


バイキンマンが両手を伸ばし、アンパンマンの顔を挟み込む。

 
倒すために存在するなら、それは。「敵」として存在することになるから。


「アンパンマンと一緒にいるにはアンパンマンを好きになっちゃいけないってコト、すぐには分からなかったんだ…」

「俺様、やっぱり離れたくな…いから、やっぱり俺様アンパンマンの敵でいい」




「目が覚めるまでここにいて」
 そう言ってバイキンマンは目を閉じた。








 バイキンマンが何かを言っていた。
 アンパンマンは、それが夢の中の出来事のようで、ゆらゆらとゆらめく視界の中、意識を手放すまで、信じられないという顔で最愛の人を見ていた。
  







 それから数日後。


 平和な町のちょっとした風景。
 子供たちが楽しそうにアンパンマンを囲っておしゃべりをしていた。
「アンパンマン、遊んで〜」
「抱っこー」
「空飛んでみせて!!」
「仕方ないなぁ、ほら」
「きゃあ〜っ」





「なぁに、アレ」
 ドキンちゃんがちょっとした人だかりを指さして言った。
「あんたこの前アンパンマンを倒す薬作ってなかったっけ?」
 なにピンピンしてんの?
 あ、また失敗したのね〜。
 ドキンちゃんはにやにやしながらそんなことを言ったけど、バイキンマンはてんで聞いちゃいなかった。
「ちゃんと…成功してるのだ」
 ぎゅうっと服の裾を掴んで、バイキンマンは言った。
「あ、そ。どうでもいいけどしっかり荷物持ちしてよね」
 ドキンちゃんも大して気にしていなかったので、とっととアンパンマンと子供たちの横を通り過ぎた。

「…アンパンマン」
 雑踏の中、バイキンマンが呟いた言葉はアンパンマンには聞こえない。


 あれ以来、
 町の中で、アンパンマンはバイキンマンを見つけても声をかけたりしなくなった。

 だから、あの薬は成功してる。


 バイキンマンはそう、自分に言い聞かせて、ドキンちゃんの後に続いた。







 あれから数日。本当に、数え切れるだけの短い時間。
 けれどバイキンマンにとってはとてもとても長い時間で。
 だって、それは。
 アンパンマンがバイキンマンのことを



 いらなくなってしまった時間だから。




 バイキンマンが作った薬。
 それは、「最後に会った人を忘れる薬」
 しゃべったり、笑ったり
 何か、記憶に残るようなことをすればするほど、相手に関する記憶がなくなる薬。

 今までしたこと。

 たくさんの会話や

 人には言えないこと。

 毎週戦ったことや

 バイキンマンがいっつも負けてたこと。

 その後でアンパンマンが手当てしてくれたこと。



 バイキンマンの存在自体をすっぱり忘れることはないだろうと思うが
 これまでのことをほとんど忘れてしまったのだから
 アンパンマンにとってバイキンマンは忌まわしい敵以外なんでもない。



 
 別に、それが悲しいことだとは思わない。
 普通に、戻っただけだ。






「食べないの?」
「食欲ないのだ…」
 ドキンちゃんの買い物の途中、ドキンちゃんがおなかがすいたと言ったので、適当なお店で昼食をとることにした。
 通りに面する、オープンカフェのようなお店。
「じゃあいただきまーす!」
 威勢良くバイキンマンの分から食べ始めるドキンちゃん。
「…いや」
バイキンマンがつっこみを入れるまでもなく食べ終えようとしていた。
 その時
「やぁ、こんにちは。ドキンちゃん」
 びくんっとバイキンマンが飛び上がるような声。
 ドキンちゃんは食べる手を休めて、その声の主の方を見た。
「あら、アンパンマン。何か用?」
 バイキンマンは身を小さくして、いないように振舞うしかない。
 けれど、アンパンマンの優しそうな目はドキンちゃんからバイキンマンの方へ移り。
「いたんだ。微菌類」
 途端意地悪な目になった。
 ひ、酷いのだ…。バイキンマンの名前すら呼ばないなんて。
 自分が撒いた種とはいえ、バイキンマンはちょっと泣きかけた。
 けれど、そのアンパンマンは敵でしかないバイキンマンの腕を掴んで
「ちょっとこの子借りていっていいかな」
 ドキンちゃんに訊いた。
 嫌なのだ!!バイキンマンは目でドキンちゃんに訴えたが、ドキンちゃんはちょっと考えてから
「五千円」
 手を出した。
「はい」
 えぇぇっ。安っ。
 俺様そんなに安くないのだ!とバイキンマンが心の中で叫んでも、バイキンマンの所有権は今アンパンマンに移ってしまったのだ。
 じたばた暴れてもアンパンマンに引っ張られ、バイキンマンはずるずると町の外まで連れてこられた。

「何なのだ!俺様は今忙しいのだ!お前になんか構ってる暇ないのだ!」
 アンパンマンの返事はない。
「…っ。お前は俺様のことなんかどうでも良くなったはずなのだ!!」
 目の前の背中は、何も語り掛けてはこない。
 この沈黙は、かつてバイキンマンが悪戯した時のアンパンマンの態度と似ていた。
「どうして…?俺様まだ何も悪いことしてないのだ…」
 強く腕を掴まれて、理由も言わずに人気のない場所に連れて行かれて。
 バイキンマンはますます心細くなってしまう。
 このまま、リンチされたらどうしようとか、もっと酷いことされたらどうしようとか、バイキンマンの頭に悪い予感がぐるぐる回る。
 アンパンマンは、かつてバイキンマンに「大好きだよ」とか「愛してるよ」と言ったことさえ忘れてしまったはずなのだ。
 バイキンマンが作った薬のせいで。
 だから、今となってはアンパンマンにとってバイキンマンは敵以外何でもない。
 きっと痛いコトをされる。

「…ふぇ」
 泣いたらダメだと分かっていても、バイキンマンの目に涙が滲んできた。
 と、
「着いたよ」
 アンパンマンが微かに笑みを浮かべてバイキンマンの方へと振り返った。
「え」
 そこは前にみんなで遊びにきた芝生の広場。
 野原といってもいいほど、建物は何も無く、ただ柔らかい草が一面に生えていてさわさわと風に吹かれている。
 その野原の端っこに、バスケットがぽつんと置いてあった。
 アンパンマンはそこまでバイキンマンを連れていって、一緒に座らせる。
 バスケットの中身は、食べ物のようだった。
「ほら、最近バイキンマンが元気ないからさ」
 手渡されるサンドイッチ。おそらくジャムおじさんが作ったんだろう。
 バイキンマンはそれをしぶしぶ受け取った。
 おいしそうなサンドイッチ。
 だけど、今のバイキンマンには食べようとするとおなかがきゅっと引き絞られるように痛くなる。
「…食べたくない」
「そっか。じゃあ、何か飲む?」
「…うん」
 悪いと思いつつも、事実何も食べたくないのだ。
 あの日以来。
「顔色悪いよ。しっかりご飯食べてる?」
 アンパンマンが頬に手を伸ばしてくる。
 その感触は、全く前と変わらない優しさで。
 バイキンマンは「触らないで」と小さく拒絶した。
 アンパンマンは慌てて手をひっこめる。
「ごめんね」
 どうして謝るのだ。と、バイキンマンは一人で顔をしかめた。
 すると
「でもね、僕のこと避けてただろ。どういうつもり?」
 アンパンマンが感情を押し殺しているような顔で言った。
「どうって…」
 バイキンマンは目を見開いてアンパンマンをまじまじと見つめてしまう。
「そんなに僕のことが嫌い?」
「なっ!違うのだ!先に嫌いって言ったのはそっちのくせに!!」
 「は?」アンパンマンはわけがわからないという顔をしている。
しかしバイキンマンは止まらなかった。
「お前が俺様のこと嫌いって言ったから俺様もお前のこと嫌いになったのだ!!」
 もうほっといてくれなのだ!!バイキンマンはぷいっとそっぽを向いた。
第一、アンパンマンにはバイキンマンを「好き」と言っていた頃の記憶なんてないはずだ。
それなのにバイキンマンに構ってくるなんて、お人好しすぎる正義の味方を通り越してただの馬鹿だ。
「そっか」
 アンパンマンがなにか言ったけれど、パイキンマンは聞かないふりをした。
 殴られるかと思ってぎゅっと目を閉じて耳も塞いで縮こまっていたのだけれど、いつまでたってもアンパンマンが何もしてこないのでそっと目を開けた。
「……どうしてなのだ」
 バイキンマンは一人ぼっちになっていた。






 もしかしたら、夢なのかと思った。

 今までが夢なのかと思った。


 夢だったら、どんなにいいだろうと思った。


 アンパンマンは俺様にしたことを忘れていなくて、だからいつもみたいに馴れ馴れしく近寄ってきて、バイキンマンを困らせるんだ。



 バイキンマンは静かに静かに泣いていた。








「バイキンマン」
 泣いていたら、ふわりと温かいものに包まれた。
 びっくりして振り返ると、アンパンマンが立っていた。
その手には、野原で摘んできたらしい花束。


 手渡されたのは勿忘草とラベンダー


花言葉は「私を忘れないで」と「許しあう恋」
アンパンマンが少し恥ずかしそうに告げた。

「ど…して」
 状況がうまく飲み込めなくて、バイキンマンはぽかんとアンパンマンを見つめる。
「君の薬が効かなかったのか、僕らの愛が本物だったのか」
「な!!いつ気づいたのだっ!」
 今回ヘマをしたつもりはないのに。バイキンマンに会ったこと、薬を飲んだことさえ忘れているハズなのに。
 けれどバイキンマンの質問に答えず、アンパンマンはバイキンマンを抱き寄せた。
「どっちだと思う?バイキンマン」
 ちゅう、とバイキンマンの柔らかい唇を味わいながらアンパンマンは謎々をふっかけるように訊ねた。
「…分からない」
 でも、とバイキンマンは続ける。
「俺様とお前の間に、愛なんてないだろう…?」
 その答えにアンパンマンはふふっと笑った。
「そうだね」

 野原にそよそよと風が吹く。






 忘れるわけないじゃない。
 君のこと。
 全部。

 全く、ナニ考えてるの?君は。



 僕がいないと君はほら、こんなに弱くなる。



好きなんだ

 アンパンマンはバイキンマンの耳元で囁いた。
 バイキンマンはこくんと頷いた。
「やっぱりみんなの前で言った方がいいかな」
「イヤ――っ!!!」

 そんなに嫌がらなくても…。
 まぁ純情ってことだね。


 あ、それと。アンパンマンが思い出したように続けた。
「君、危険な薬って言ってたけど、ただの栄養剤だったよ?」
「なにぃ!?そんなはずはないのだ…っ。俺様が調合した忘却薬なのだ」
「不思議だね」
 さりげなくバイキンマンの尻を掴むアンパンマンの手を叩きながらバイキンマンはあの日のことを思い出していた。
(…そういえば俺様誰かとぶつかったのだ…)

 もしかしたら薬が摩り替わって…?
 今となっては確認のしようがないことだけど。

(もし俺様の薬をあの人が飲んでたらどうしよう…)



(ま、いっか…)







「バタコさんはどこかの…」
「嫌だわ、私じゃないですかっ!」

 ジャムおじさんがボケました。








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