愛を乞う人
いつから一人ぼっちなんて考えたことも無かった。
一人ぼっちが悲しいなんて思わなかった。
世界は悪と正義の二つしか無くて
自分は悪なんだと教えられていたから。
「ここか…俺様が征服する星は」
バイキンマンは宇宙船から降りて、周りを見渡した。
木々の緑がまぶしくて、遠くで鳥が鳴いている。
のどかな町の外れだった。
「田舎くさい場所だな…」
ふふん、と鼻で笑うようにして、バイキンマンは歩き出した。
「ちょっと!バイキンマンー!これどうすればいいのよーっ!」
後ろでドキンちゃん(バイキン星で一番可愛い女の子だ)が、大きな荷物を抱えて怒鳴っていた。
「あ、すぐ帰るから」
少しだけ、探索してくるね。
バイキンマンはドキンちゃんの気を荒立てないように顔色を窺いつつ、そう言って町へと歩き出した。
どうする?これから。
恐ろしい機械を作って町を襲って、住民たちをしもべにするんだ。
住む所は?
簡単。城を作ればいい。俺様なら城を作る機械くらいすぐに作れるさ。
食べ物は?
…なんとかなるだろう。なくなったら盗んで食べればいい。
目的は?
この星を征服すること!そうバイキン大魔王に命令されたからさ!
「町だ…」
バイキンマンは、ほぅっと感嘆して、町のアーケードを眺めた。
素朴だがきちんと整備された町で、小奇麗な店が立ち並んでいる。
時間が昼のちょっと過ぎだからか、人々は働いているらしくメインストリートなのに人通りは多くない。
小さな子供を連れている母親や老人などがちらほらいるだけだった。
「なんだ…」
あまりの平和っぷりにバイキンマンは肩の力が抜けてしまう。
こんな町なら自分の手中に落ちるのも時間の問題だろう。
「おっと…」
目の前を小さな子供がパタパタと駆けていった。
その後ろを多分母親だろう…ふっくらした体つきの女性が困ったように笑いながら追いかけていく。
すれ違うとき、バイキンマンに軽く頭を下げた。
それにつられてバイキンマンも頭を下げる。
「…」
むかつくほどに平和な町だ。
早く壊してやろう。
バイキンマンはそう誓った。
「アンパンマン〜!!」
先ほどの子供が大声を上げた。
目線の先には一人の青年。
最初の子供の声に引き寄せられるように、その周りにいた子供もわらわらと集まってきて、小さな子供の円が出来る。
「やあ、みんな。いい子にしてた?」
バイキンマンが遠くでその光景を見ていると、その青年はにこやかな笑みを浮かべて一人の子供を抱き上げた。
それを見ていた子供たちは、次は自分だと歓声をあげる。
バイキンマンはその異常な光景に眉をひそめた。
大の大人が昼間に子供と遊んでやがる。
どういうことだ?
思わず、通りすがろうとした人の良さそうな老人に尋ねる。
「何ですか、あれ」
「あれ、とは…?」
呼び止められた老人は、足を止めて目を細めた。
「あの…人」
バイキンマンが指さした先をついと見やり、あぁ、と頷いた。
「アンパンマンですよ。この町の平和を守ってくれる、正義の味方です」
では。そう軽く会釈をし、老人は去っていった。
「…アンパンマン?」
アンパン?バイキンマンには疑問が残るだけである。
ただ、正義の味方って何なんだ!?もしかすると、この町の治安を守っているのはあいつなのか?
バイキンマンの中に焦燥と不安が生まれる。
もしかすると、自分の計画を邪魔する奴かもしれない…。
そうこうするうちに、子供たちの母親が赤面しながらアンパンマンとかいう奴にサインを求めていた。
アンパンマンはそれにさわやかに笑って応える。
その笑顔を見ていると、なんだかムカムカしてくる。
「…嫌な奴」
バイキンマンはそう吐き捨てて、町を後にした。
「町から結構歩くな…」
見つからないようにと町はずれに着陸したのが裏目となったのか、バイキンマンはややげっそりしながら帰路についていた。
行きは好奇心もあって疲れなかったのだが、帰りは慣れない道を歩くということと普段あまり運動をしないためかぜいぜい息が上がってしまう。
「ちょっと休も…」
「やぁ。僕アンパンマン。君はどこから来たのかな?」
「―――――っ!?」
突然背後から聞こえた声に、バイキンマンは飛び上がって驚いた。
「ななな、誰っ」
「アンパンマンって言ったじゃないか。君、もしかして迷子かい?」
やけに馴れ馴れしく近寄ってくるこの男は…そう、さっきの好青年。
バイキンマンの嫌いなタイプだ。
「…別に」
付きまとわれたくなかったので、バイキンマンは素っ気無く答え、歩き出した。
先ほどよりも早い歩調で。
「君、新しい住民だろ?見かけない顔だから…」
「…」
すたすた。
「家の住所を教えてくれれば、僕が空を飛んで送っていってあげるよ」
「…」
「ねえ」
「うるさーい!」
あまりにしつこいアンパンマンに、バイキンマンは大声をあげた。
「俺様は一人で家に帰れるんだ!ほっといてくれ!それに俺様は『正義の味方』とかいう奴は大嫌いなんだ――っ!!」
「…」
アンパンマンは目を丸くしてバイキンマンを見つめていた。
「…ということだから。じゃあな」
「あっ…君」
「〜〜っもう、なんだよ!ぎゃあっ」
バイキンマンは急に膝の力が抜けてがくんと地面に手をつく。
「今危ないって言おうとしたんだよ」
大丈夫?そう抜けぬけと言って手を差し出してくるアンパンマンを噛み付かんばかりの勢いでバイキンマンは怒鳴った。
「お前が今俺様に膝カックンしたんだろ!?」
「…いやいや、この先怖くて有名な犬がいるから忠告してあげようと思って」
やたら薄気味悪い微笑を浮かべる正義の味方にバイキンマンもたじたじになった。
「何を訳分からんことを!ここ一応森の中だろっ!?」
「あ…ちょっと擦り剥いてる」
え?バイキンマンがその言葉を理解する前に、アンパンマンがバイキンマンの手を取り、手の平に口付けた。
「うわっ、おい!何す…」
「消毒」
ほんの少し、皮がめくれただけで血も滲んでいない傷口を、アンパンマンは丁寧に舐め上げる。
「ちょ…おい、お前…」
ちゅっと音をたててキスをしているアンパンマンに、バイキンマンは赤面した。
「なに」
「う…っ」
地面に膝をついて自分の手にキスしてる男が上目遣いにこちらを見上げてくる。
その視線が耐えられなかった。何故だかこちらが恥ずかしくなって言葉を言い出せなくなる。
「き、汚いぞ…こんなこと」
バイキンマンがやっと紡ぎだした言葉にアンパンマンは動きを止めた。
「嫌だった?」
そう言って伏目がちになった瞳は少し寂しそうで。だからバイキンマンはなおさら焦った。
「あ、…ちがっ。その、俺様はバイキンマン…バイキンで出来てるんだよっ!そんな奴に触ったらお前も病気になるぞ!!」
「…バイキンマン?」
「そうだよっ!」
目の前の彼は信じられないというように、バイキンマンの名前を復唱する。
それを見ているとバイキンマンはどうしてだか辛くなって、彼の手を振り払った。
「今日からお前の敵になるバイキンマンだ!バイキン星からやってきた悪の科学者なんだぞ!お前らなんかこてんぱんにしてやる!じゃーな、バイバイキーン」
そうやけくそになって叫んでバイキンマンは走って逃げた。
「…バイキンマン」
残されたアンパンマンは、小さくなっていく背中(もとからあまり大きくなかったが)をぼんやりと見つめていた。
いつの間にか日は傾いていて、夕日が彼を照らしていた。
「遅ぉい!この馬鹿っ!」
「ごぶっ。すみません!!!」
帰ってそうそうドキンちゃんの飛び膝蹴りをくらったバイキンマンはあたふたと食事の用意に取り掛かった。
「私にひもじい思いをさせるなんてどういう神経よーっ!!」
後ろでどやされながら、バイキンマンは宇宙船から使えそうな食器と料理器具を出す。出しながら
(何でこの人俺様について来たんだろう…)
漠然とそう思ったが口に出す勇気は無かった。
「まぁいーや」
自分のバイキン大魔王の命令に従うだけだ。
きっと大魔王様の言うことは正しいのだから。
「ねえ、ドキンちゃん…」
「なぁによ」
食事の時、バイキンマンはドキンちゃんの機嫌を損ねないように細心の注意を払いつつ素朴な疑問をぶつけてみた。
「――ドキンちゃんは俺様のフィアンセとかいう設定じゃないよね…?」
「ふざけんなこの馬鹿!」
「はぅっ。すみませんっ」
「…」
「…」
「…一人じゃ寂しいでしょ」
「…ぇ?」
「うるさーい!」
「…すみません」
「随分ご機嫌ですね。アンパンマン」
「あ、ホントだ。なんかイイコトでもあったんだろー」
パン工場に戻り、いつものパトロール報告をしていると、同僚の食パンマンとカレーパンマンがにやにや笑ってからかってきた。
「え?そうかな。…まぁ良い事はあったんだけど」
「なんだよ」
カレーパンマンが軽くアンパンマンを小突く。
「はは…。すっごく可愛い子見つけたんだよね」
「それは興味深いですね」
食パンマンがコーヒーカップをアンパンマンの目の前に置き、指先でアンパンマンの分だと示す。
多分バタコさんが淹れてくれたのだろう。
インスタントでないコーヒーは香りが良かった。
アンパンマンはそれを一口飲み、ほぅっとため息をつく。
「新しい子でね。色が白くて華奢で…髪の毛は真っ黒でさらさら」
「へえ〜」
カレーパンマンは甘口カレーにでもなるつもりなのか、コーヒーにどばどば砂糖を入れながら珍しそうに相槌を打った。
「少し話したんだけど、すごく可愛かった。恥ずかしがりでね、ちょっと意地っ張り」
「なるほど」
食パンマンは面白いものでも見るような目つきでアンパンマンを観察している。
「でも名前教えてくれたんだよね…すごく可愛い名前」
「すごい惚れっぷりだな、アンパンマン」
今度俺にも紹介してくれよな。
そう言ってカレーパンマンはアンパンマンに笑みを向けた。
彼は何も知らなかった。
食パンマンが影でにやりと笑っていた。
アンパンマンとカレーパンマンはそれに気づかなかった。
それぞれが同じ場所にいながら、てんで違う世界を妄想していた。
食器を洗いながら、バイキンマンはため息をついた。
「…アンパンマンって変な奴」
正義の味方は誰にでも優しい。
『誰にでも』?
嘘だ。
正義の味方は悪者には優しくない。
「…俺様が悪者だって分かったら、あんなにびっくりした顔してたじゃないか…」
ちくんと棘が刺さったように胸が痛い。
少しだけ、羨ましいと思ったのかもしれない。
あんなに人気者の彼を。
平和で楽しく暮らしている人々を。
ここにあるものは全て自分には縁のないものだったから。
いや、これからもずっと手に入らないものだったから。
バイキンマンはふるふると首を振った。
「俺様はバイキン星からやってきた、悪の科学者バイキンマン様だぁ――!」
「うるさいバイキンマン!知ってるわよそんなこと!!」
「あ、…すみません。あ!悪の天才科学者バイキンマン様だぁ――!」
どかんっ。
血管が浮き出るほど怒りを溜めたドキンちゃんに足蹴にされて、バイキンマンは必死で弁解した。
「ドキンちゃん、これ決めセリフの練習っ!練習だからっ!」
「うるさ――いっ!馬鹿バイキン!」
見てろアンパンマン。お前はこの俺様が必ず倒す!!
バイキンマンはそう心に誓った。
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