世界の中心で愛を叫ばない
 


「今日はいい天気だなあ…」
 庭に咲いている花にホースで水をかけながら、バイキンマンは空を仰いだ。
水で濡れた葉や花びらが、太陽の光に反射してキラキラと光っている。
「平和だなぁ〜…」
 ささやかな幸せをかみ締めながら、バイキンマンは今度町を襲うときに使うロボのことについて考えていた。
 今度はザクみたいなのにしよっかなー。
ヤッ○―マンの犬のロボットみたいなのでもいいんだけど。
なんかこう…、変身する悪役っぽいやつ。かっこいいのがいいな。
 こう見えても悪の科学者なのだ。
バイキンマンはうきうきしながら頭の中で設計図を思い描いていた。
「ご機嫌いかかです。フロイライン」(*『フロイライン』=お嬢さん)
「ぎゃあぁぁ―――っ!」
 突然現れた招かざる客、バイキンマンは悲鳴を上げた。
「なぁ…ほんと、何かやっただろお前。バイキンマンにトラウマが残る前になんとかしろよ…」
 いつもより貴族っぽい食パンマンといつもと同じ庶民っぽいカレーパンマンだ。
「ななな…、なに、なに…」
「今日も別に何もしませんよ。カレーパンマンもいることだし」
「そうそう…え、俺関係ないし」
 カレーパンマンの顔が青くなる。
バイキンマンはいつでも逃げられるようにじりじりと後ずさっていた。
「今日はドキンちゃんの好きなサクランボを持ってきたんですよ」
「何でサクランボ!?頭がそんな形してるからっ!?してるから!?」
 そんな話は初耳だ。
でもドキンちゃんがサクランボっぽいのは絶対気のせいじゃない。
「ふふふ…。まぁ、それは良いとして」
 どうなんですか?最近。ぼそりとバイキンマンの耳元で囁かれる声。
「なっ…なにがっ!?」
「いやぁ…。ねぇ?音沙汰ないんじゃないかと思って」
「えっ…」
 最初の質問で、バイキンマンの頭に彼の顔が浮かんだ。
その次の質問で、ずばりその通りのことを言われてしまった。 
「それは…」
 確かに、ここ一週間はアンパンマンの顔を見ていない。
最後に会ったのは、町で戦ったとき以来だ。
「俺様だって…」
 会いたい。ケド…。
 バイキンマンは俯いた。
 アンパンマンは好きって言ってくれたけど、
でもアイツは正義の味方だから忙しいのは仕方ないし、
そこは「みんなのアンパンマン」だから、バイキンマンは我慢しなくちゃいけないと思っている。
 いや、それ以前に。
「な…!俺様は悪者だからアンパンマンとなんか会わなくてもいいんだよっ!お前何言って」
「誰がアンパンマンって言いました?」
「ぇっ。…あ」
 食パンマンの言葉に赤くなったり青くなったりするバイキンマンを見て、食パンマンはくすりと笑った。
隣でカレーパンマンが頭を抱えてそのやりとりを見ている。
「おい、あんまいじめんなって…」
「いえいえ、単に心配してあげてるんじゃないですか。もしかしたらマンネリ化してるのかなーっと思って。バイキンマンもたまにはサービスしてはどうです?好きな物をプレゼントするとか…」
 その言葉に、バイキンマンは反応を示した。不思議そうな顔をして、首をかしげて食パンマンに詰め寄る。
「そう言えば、アンパンマンの好きなものって何だ?」
 実は、アンパンマンのことは良く知らないのだ。誕生日も、趣味も、好きな食べ物も。
 それに食パンマンは意地悪く笑って。
「キスしてくれたら教えてあげますよ」
「はぁっ!?するか馬鹿!じゃあいらない。自分で聞くから」
 折角真剣に訊いたのに…。バイキンマンはちょっと不貞腐れてそっぽを向いた。
と、いきなり食パンマンの手が伸びてきてバイキンマンの肩をがっしり掴む。
「んっ!んんっっー!」
 自分の唇に重なる唇。びっくりして抗議しようとしたその唇の隙間から舌が入り込み、絡め取られる。
「んっ…ふ、…ん」
 食パンマンのキスは腰が砕けそうになるほどうまかった。嫌でもバイキンマンは感じて甘い声を漏らしてしまう。
「あっ…はぁ…も、なにす…」
 酸欠で食パンマンの胸に寄りかかったバイキンマンの首筋を、食パンマンの指がなぞる。
「溜まってるのならヌいてあげましょうか…?」
 おいおいおいおい。隣でつっこんでいるカレーパンマンは二人の目には入らない。
バイキンマンはただ、突然与えられる快楽に惚けてしまっていた。
 これが、もしアンパンマンだったら。
 どんなに幸せだろう…。
 そう思うと、ずきんと胸が痛んだけれど。
「ほら…口、開けて」
 長い指がバイキンマンの唇をなぞり、太ももでバイキンマンの足を開く。
食パンマンが膝でバイキンマンの前を擦り上げてやると、バイキンマンは嬌声を上げた。
「あっ、やぁんっ」
「随分いい声を出すようになりましたね…」
 くすり、と笑う食パンマン。すると、
「あ、アンパンマン」
 え?アンパンマン!?
 カレーパンマンの妙に間延びした声にバイキンマンは硬直した。
「バイキンマン…君、何してるの?」
「っ…!アンパンマンっ…」
 バイキンマンと食パンマンは弾かれるようにして身を離した。
そして…。
目を見開いてこちらの様子を凝視しているアンパンマン。
その肩は小刻みに震えていて、身体全体から怒りオーラを発散している。
バイキンマンの顔から血の気が引いた。
「ちがっ…違う!これは…」
「じゃあ、さよならー」
「えぇっ!ちょっと!」
「悪いバイキンマン。俺も行くわ」
「えぇっ!待ってよー!!」
 半泣きで叫ぶバイキンマンを尻目に、明らかに確信犯と思われる食パンマンは微笑を浮かべ、
お気の毒…といった同情の念を浮かべているカレーパンマンもどうやら面倒事に巻き込まれたくないらしく、
後腐れなく早々と立ち去っていった。


「あ、アンパンマン…?」
 恐る恐る顔色を窺って見るとぎろんと睨み返された。
「ひっ…」
「ど、どういう事かなぁ…?」
 怒りのせいか、語尾が震えている。
 先ほどの状況は弁解の余地なし。てゆーか弁解聞いてもらえなさそう。
 バイキンマンはこれが夢であればいいのに。と本気で思った。
「ま、まぁ…。悪は成敗しないとね…?」
「…ぇ?」
 どういうこと?そうバイキンマンが訊く前に
「アンパーンチ!!!」
 怒りの鉄拳がバイキンマンの顔面に炸裂していた。




「……っ」
 バイキンマンはうっすらと目を開けた。ぼんやりとした視界のピント合って、白を基調とした家具が目に入った。
どうやら部屋の中らしい、バイキンマンはそう思った。
「…?」
 やけにデジャヴ感のある部屋だ。
周囲を見渡そうとして首を回そうとしたら、ぐぎっと音を立てて激痛が走った。
「…おはよう」
 寝違えた時のような首の痛さに顔をしかめながらも、自分に向けられた声に反応して顔を上げる。
「アンパンマン!」
 ドアを開けて入ってきた彼の姿を認識して、バイキンマンはその名前を呼んだ。
バイキンマンが何度も会いたいと思っていた姿だ。
何回も心の中で呼んだ名前だ。
「…バイキンマン」
「あっ、アンパンマンっ。…俺様、どうしてここに」
 思わず彼の元へ駆け寄ろうとして、身体の自由が利かないことに気づく。
「なっ!?」
 バイキンマンは、肘掛付きの椅子に座らされていた。そしてその両腕をなんとそれぞれ肘掛に括り付けられている。
「…なんだこれっ!」
 ぎょっとしてまじまじと自分の腕を見てしまう。どんなに力を込めて揺さぶってもガムテープでぐるぐる巻きにされた腕は自由になりそうにない。
「僕だって怒るときは怒るんだよ」
 じりっと近寄ってきた影にバイキンマンは「ひっ」喉の奥で悲鳴を上げた。
 見上げる姿は、今までにないほど威圧的で獰猛で、バイキンマンの知っている彼では無かった。
「ね…アンパンマン…どうしたんだよ…」
 今、手を伸ばして縋り付けたらどんなにいいだろう。
しかし当然ながらバイキンマンにはそうすることは出来ない。
「君が、君があんなことするから…!バイキンマンの…っ!」
 アンパンマンの言葉はそこで途切れた。
一体何て言おうとしたんだろう…。バイキンマンはアンパンマンから目を離せなかった。
それは、どう見ても辛そうな顔で。
(…嫉妬?)
 バイキンマンの中にそんな疑問が生まれる。
が、すぐにそんなハズないと自分で打ち消した。
 そんなことあるわけない。
アンパンマンは、その…人気モノだから。
自分の変わりなんて山ほどいるし、それに、アンパンマンみたいに飄々と生きてる奴がバイキンマン如きに固執するわけがない。
 じわじわと灰色の闇が胸に浸透してくる。
しかし、そんな思いも突然のアンパンマンの行動によって打ち切られた。
「ちょ、なにすっ!」
 ジーンズのチャックを下ろし、脱がせようとする。
バイキンマンは慌ててそれに抵抗した。必死に蹴りを入れたり喚いたり。
だけどアンパンマンどこ吹く風で着々と自分の衣類を剥ぎ取っていく。
「ぎゃぁ!」
 下肢を覆うものが全て無くなると、アンパンマンはバイキンマンの右足首を掴んで高く掲げた。
「いい眺め」
「何言って!下ろせよ馬鹿っ!離せぇっ!」
「無理」
 そう言ってアンパンマンはバイキンマンの足首を椅子の肘掛にガムテープで固定し始めた。
「おいっ!やめ、やめ――っ!嫌だぁっ!こんな格好!」
 バイキンマンがどんなに暴れようとも、右足を大きく開いたまま固定完了。
左足だけのキックは威力半減か三分の一以下で、それも難なく捕まえられて左の肘掛に固定された。
「あ…嫌、何でっ、俺様こんな格好…」
 あまりの羞恥にバイキンマンは涙目になる。手も足も固定されて、その上足は大股開き。
「バイキンマンのアソコ丸見え」
「…っ!言うな馬鹿ぁ!」
 アンパンマンは喉の奥でくくっと笑ってバイキンマンの太腿に手を伸ばした。
指先で肌の質感を確かめるようにしてから、掌で存分にその感触を楽しむ。
 白くてキメ細かい肌だ。
アンパンマンが前につけてやった跡はとっくに消えている。
さらりとした感触だが、撫ぜているうちにしっとりと馴染んでくるような肌はいつもアンパンマンを喜ばせる。
 でも
「これで食パンマンをたぶらかしたんだね…」
「えっ…」
 一瞬何を言われたのか分からなくて、バイキンマンは目を見開いた。
「可愛い顔で誘って、あいつにキスして、それでここにあいつを受け入れたんだ」
「アンパンマン…なにを?ぅあぁっ!あぁ―――っ!!!」
 アンパンマンの指が何の躊躇いもなくバイキンマンの蕾に挿入される。
何の潤いもない指がぐいぐいと無理やり突き進んできてバイキンマンの内部に納まった。
 バイキンマンは後孔の引き攣るような痛さに耐えられなくなって生理的な涙を零す。
「…何回ヤったの?食パンマンと。何回イったんだよ!答えろよ!」
「あぁぁっ!いた、いたぃ、ア…う、動かさな、嫌ぁぁぁ――っ」
 内部が激しく動かされる指。細くて長い指はバイキンマンのいい所をピンポイントで刺激する。
辛いはずなのに、バイキンマンの体は熱を帯び始めていた。
「…バイキンマン。食パンマンとヤったこと、ないよね。あれは食パンマンが勝手になんだろ?」
 不意に、アンパンマンが祈るような口調に変化した。
バイキンマンの瞳を見据えて、微々たる表情の変化も逃さないというように覗き込んでくる。
「ヤ…ったことない!そんなのあるわけなっ!…あ」
 バイキンマンの脳裏にちらりと過去の苦々しい記憶が蘇る。
思い出というには新しくて生々しくて、いっそのこと海の底へと沈めてしまいたいような記憶だ。
 食パンマンに襲われた日のこと。そして試験管…。
(でもあれは合意じゃないっ…!)
 しかし時すでに遅し
「『…あ』ってなんだよ―――っ!!!」
 アンパンマンは勢いよくバイキンマンの中から指を引き抜いた。
「いやぁぁ―――っ、あぁ…ち、ちがう!アンパンマン違う…!」
「君はほんっっっと馬鹿だね。体で教えないと分からないのかな、っっったく」
 バイキンマンの目の前にかちかちにそそり立ったアンパンマン自身が差し出される。
アンパンマンはチューブからどろりとしたジェルをひねり出し、怒涛のそれに塗りつけた。
 バイキンマンの蕾に、熱い塊が押し当てられる。
「あ、待って!ね、やだ…俺様まだ慣らしてな…!」

 悲鳴。
「くっ…きっつ。昨日は食パンマンにしてもらわなかったの?」
「やぁぁぁぁ――っ!」
 椅子をぎしぎし軋ませて暴れるバイキンマンの体を押さえつけ、アンパンマンは腰を進めた。
涙を流して苦痛を訴えているのに、バイキンマンの性器は反応して蜜を流している。
「んあぁぁっ!あ、あ、あぁっ…!」
 バイキンマンは額をアンパンマンの胸に押し付けるようにして強すぎる刺激に耐えていた。
けれど今自分が咥えているのは紛れもなくアンパンマンのものだと認識させられると、嫌でも感じてしまう。
(一週間…)
 バイキンマンは痛さと快楽による生理的な涙なのかも分からずに涙を零す。
 アンパンマンに会えなかった期間。
 傍目には短いかもしれない。
 だけど自分にとっては永遠とも思える時間で。もしかしたらもう二度と会えなくなるんじゃないかという錯覚に何度も襲われて。
 ならば自分から会いに行こうかという発想は何十回も浮かんだけれど。
 もしも拒絶されたときのを考えてそれも出来なかった。
 
だって自分は悪者で。奴はみんなに好かれてる正義の味方。
 自分がアンパンマンのことを好きだったら、きっとみんなは自分以上にアンパンマンのことが好きだ。
 きっと。

「…あ、も、ダメ――っ!」
 バイキンマンはびくんと大きく震えて達した。
 頭の中が真っ白になるほどの快感だった。
「もうイっちゃったんだ…」
 アンパンマンは腰の動きを止めてバイキンマンの腹の上の残滓を拭う。
「でも僕まだだから」
 バイキンマンがその意味を聞き返す前に、アンパンマンはまた動き始めていた。
「いやぁぁぁっ!やめ、おねがっ、ぁっ――」
 がっしり腰を掴まれて、がんがん打ち付けられる。
 また、だ。
 バイキンマンの体の奥から熱が生まれ始めた。
 アンパンマンのそれがバイキンマンのいい所を突き上げるたびにバイキンマンの先端からは面白いほど蜜が溢れ出す。
「いぁっ!いやぁっ!」
 快楽に支配されて、バイキンマンはただ泣きじゃくった。快楽を与えてくれるのなら、アンパンマン以外の人でもこの体は喜んで受け入れるのだろうか。
(淫乱…)
 食パンマンに言われた言葉。
アンパンマンにも言われた言葉。
それは決して的外れじゃない。
今はそう思う。

「僕が抱いてるときくらい僕のこと考えろよ…っ」
 アンパンマンが怒りを含んだ口調でそう言い、バイキンマンの右足の拘束を解いた。
右足だけを高く上げられ、体勢が斜めに移動する。
「うぁぁっ!」
 体勢が変わったことにより、また違う角度から攻められてバイキンマンは悲鳴を上げた。
と、ほぼ同時にバイキンマンの先端からだらだらと白い液体が溢れ出す。
「あぁ、なに、これぇ…」
 最初の時とは違い、勢いのない射精はバイキンマンに永遠と思えるほど長い快楽を与えた。
バイキンマンのそれの角度はそのままで、絶頂を終えたような脱力感や爽快感はない。
ただ、絶頂時のような強い快楽だけがバイキンマンの体を駆け巡る。前立腺の刺激だけでイったせいだ。
 が、アンパンマンはバイキンマンのことをお構いなしに動き続けた。
バイキンマンが相変わらず悲鳴と嬌声を上げて身を捩っている。
まだ回数が少ないバイキンマンにこんな無茶をすれば、後々酷いことになるだろうがアンパンマンの知ったことではない…とアンパンマンは思うことにした。
 二回もイかせてやったんだから、こっちにもいい思いさせろ。そんな理屈を作りだして。
(どうしてバイキンマンにこんな酷いことをする…?)
 そんな問いも今なら答えが出せる。
決まっている。ただ自分が達するためだけだ。




「…大丈夫?」
 大丈夫じゃねーよこの馬鹿!心配するくらいならあんなことするな!
 そう声に出す体力はとうに尽き果ていた(あっても言うことはしないだろうが)バイキンマンは裸のままソファの上に寝かされていた。
 頬にぴたりと冷たい感触が走る。何かと思って目だけ動かして見たら、清涼飲料水の缶だった。
「はい」
 プルタブを開けて、ジュースをバイキンマンに渡すアンパンマン。
バイキンマンは起き上がってそれを無言で受け取った。
「…」
 ジュースを一口喉に流し込んでから、バイキンマンはこっそりアンパンマンの顔を盗み見る。
 シャワーでも浴びてきたのか、髪は少し湿ったままで上は裸で下はジーンズ。
 色気があると言えばあるんだけど…。
 バイキンマンは視線を自分の膝あたりに落とす。

 どうしてこんなアンパンマンを見るのが嫌なんだろう。
 自分以外の「誰か」にこんな姿を見せていたアンパンマンを思い描いた瞬間
 バイキンマンは自分を世界から消し去りたくなった。

   ぽつんと黒い染みのような疑問が胸の中に生まれた。
 ――言ったら、どうなるんだろう。
   もし、自分が食パンマンとのことを言ったらどうなるんだろう。

「アンパンマン…っ俺、俺様っ…」
 前に一度…
「…ぁ」
 あの時のことを思いだしてぽろりと零した一筋の涙が、後から後から溢れてくるのが分かる。
 言うのより先に、止まらない涙をなんとかしなくちゃいれなくなった。
 歪んで見えなくなった視界で、アンパンマンが自分の顔をのぞきこんでいるのが分かる。
「…辛かった?」
 そりゃ、辛い。頭はぼーっとしているし、おなかは痛い。
何より全身が気だるくて歩くのもやっとだ。
 でも、そんなことより。
 バイキンマンは首を振って続きを言おうとした。
 そしたら。
 アンパンマンの長い指がバイキンマンの涙を拭う。
 普段なら何でもない慣れたその仕草が、バイキンマンを打ちのめした。

 アンパンマンは優しい。ちょっと怖いときもあるけど…何気ない優しさがある。
 きっと誰にでも優しい。
 自分が優しくしてもらう前に、きっと沢山の人が彼に優しくしてもらったんだろう。

 自分がアンパンマンとさっきやったようなことを…情交を
 他の誰かともやったことはあるんだろう。

 そんなの、嫌だ。

 自分はアンパンマン以外の誰かと…無理やりな形であってもしたことはあるのに
 アンパンマンが同じことをしているのを許せない自分が許せなかった。

「…何でもない」
 バイキンマンはそう言った。

飲み込んでしまおう。汚い自分の感情と共に。表には出さないようにしよう。自分は汚いとバレるから。
全て言わずにいて、距離がこれ以上縮まることはなくても
全て話した後に、置いていかれそうな気がしたから。捨てられそうな気がしたから。
自分以外の誰かと一緒にいるアンパンマンを自分が嫌いであるように
アンパンマン以外の人間と…したなんて知られたら、嫌われそうな気がしたから。
 
怖いのは、アンパンマンと食パンマンの仲が悪くなることじゃなくて
自分がアンパンマンに嫌われることだ。

汚いって思わないで。汚れてるって思わないで。
嫌いにならないで。
好きになってくれなくてもいいから嫌いにならないで。

バイキンなんだから、とっくに汚れてるくせに。それなのに汚れてると思われたくない。
そんな奴だ、自分は。


 バイキンマンは、ジュースの缶を指先で弾きながらアンパンマンに訊いた。
 その質問の答えは訊く前から分かっていたようなものだけれど。
「アンパンマン…俺様のこと、嫌い?」
「あぁ、嫌いだね」
 あっさりと吐き捨てられる言葉。
もしかしたら、彼は初めから自分のことをそんなに好きではなかったのかもしれない。
そう、感じさせるような冷たい声。
「…そっか。うん…分かった」
 バイキンマンはふらふらと立ち上がって、服を手繰り寄せた。
おぼつかない手で服を着はじめる。
「じゃあ、もう俺様のこと」
 いらない?
 そう訊こうとして、言葉が出なかった。
「・・・さよなら。アンパンマン」
 そう言って、部屋から出て行く小さな背中。


 多分、生まれてから一番優しい言葉をかけてくれた人。
 ちょっとだけ、優しいことをしてくれた人。あいさつをしてきてくれた人。
 笑いかけてくれた人。

 でもバイキンマンの中のアンパンマンが占める容量と
 アンパンマンの中のバイキンマンが占める容量はきっとイコールでは繋がらない。
 アンパンマンはみんなの味方。
 アンパンマンはみんなのもの?
 誰のものにもならない。
 なってもきっとそれは別の人。

「…そうだよね」

 
 アンパンマン宅。
「さよならってなんだよ…」
 やけに鈍く響いた言葉に、アンパンマンは眉をひそめた。





→進

←戻